藤原通基 (侍従) (FUJIWARA no Michimoto (Jiju (a chamberlain)))

藤原 通基(ふじわら の みちもと、治安_(元号)元年(1021年) - 長久元年12月8日_(旧暦)(1041年1月13日))は、平安時代中期の公卿。
藤原教通の子。
母は藤原公任の娘。
教通の父・藤原道長の養子となる。
初名は信基(のぶもと)。

『小右記』長元5年11月26日_(旧暦)(1032年12月31日)条に実弟の藤原信長とともに元服し、藤原頼宗が加冠務めた事が記されている。
この際、信長は従五位下に叙せられたのに対して、信基は故入道相府の戸に入っている(4年前に死去した道長の戸籍に入っている。つまり養子関係にある)ために従五位上に叙せられた事が記されている。
翌年1月の除目で侍従に任ぜられ、途中で伊予国国司・春宮権亮を兼務するも死ぬまでこの職にあった。

長元8年(1035年)に通基と改名し、長暦3年(1039年)には従三位、同年中に正三位には叙せられた。
だが、病弱で血を吐く病にかかっていたとされ、長久元年にわずか20歳の若さで病没してしまった。

[English Translation]